今月は18日、動物について考へやうかと考へ中

今月の勉強会は8月18日(木)19時より、いつものとほり飯田橋・ボランティアセンタアにて行ふ予定だ。何をテエマに出さうか現在も考へ中ではあるのだが、今回も震災関連で、先日福島県警戒区域内で見聞きしてきたことを共有しやうかと思つてゐる。 
 内容について簡単に記すと、つい先日、福島県福島第一原発から半径20キロ圏内(警戒区域)に取り残された牛たちの姿を撮影記録するため、区域内へ立ち入る機会を得た。牛舎4,5棟を回つたが、「凄惨」の一言に尽きる光景だつた。それぞれの牛舎を管理してゐる農家がいつごろまで水やり・エサやりを続けてゐたかによつて、それぞれの牛舎の状況は異なつてゐた。ある牛舎では、白骨化した牛の屍骸が転がつてゐた。また別な牛舎では、最近まで生き続けてゐたゞらう牛が倒れ、真つ白になつてゐた。この白いものは何だらうと目を凝らすと、全身に蠢くウジの大群だつた。いづれの牛舎も例外なく、糞尿があふれてゐる状態だつた。犬や猫の場合もさうだつたが、警戒区域内に取り残された動物たちは鎖が外されてゐればまだ何とか自力で生きるチャンスが残されるが、鎖につながれたまゝ飼主が避難してしまへば、餓死を待つより他に無い。
牛舎の中は糞尿で真つ黒に汚れてゐた。最後に訪ねた牛舎では、牛の脛位(30センチ位だろうか)まで糞尿があふれてゐて、その中に最近死んだのだらうか、横倒しになつて蠅にたかられてゐる屍骸の横で、まだ生きてゐる牛が膝を折り曲げて糞尿に漬かり、休んでゐた。目の前に仲間の牛の屍骸を見ながら糞尿に漬かつてゐる牛の姿は、人間の度し難さを思はせずにはゐない光景だつた。
小生は今の今まで、牛や豚、鶏を食べて生きてきた。魚を食べて生きてきた。命あるものを殺して、それを腹に満たすことで生きてきた。それはおそらく、これからも余り変らないのかも知れない。しかし、何かが決定的に変つたやうな気もする。それがどんな「何か」なのか今は分らないが、命あるものを殺めて生きていくといふ生き方に対しての何事かであるやうに思ふ。確かに、あそこにゐた牛たちは元々食肉として出荷される牛や、乳を出すため飼育されてる牛たちだ。要は「経済動物」だ。いづれ人の手で殺されるのだから、煮て食はうと焼いて食はうと、餓死させやうと、糞尿まみれの中で行き地獄を味はゝせやうと、勝手と言へば勝手なのか。さうでは無いだらう。さうであつてはならないだらう。あゝいふ恐れを知らない状態をそのまゝにしておくことは、牛たちだけでなく人間にとつても何一つ良いことは無い。
動物たちへのレクイエムを歌ふことはいつでも出来る。それは、すべてが終つてからで良い。
あの日記録したものをこれからどう考へ、どう伝へていくか、それが肝心だ。
18日は、動物をめぐる問題についての議論と、これをどう伝へていくかという議論をまとめて行へたらと思つてゐる。

平成辛卯 葉月十五日
宍戸 大裕