ヴェイユを想ふ、被災地の春

この頃改めて、シモオヌ・ヴェイユのことを考へてゐる。
それは、ヴェイユナチスの支配する祖國フランスを逃れて亡命したイギリスの地で、ほとんど餓死同然の最期を遂げたことについて。
小生はこのヴェイユの死について、彼女のロマンティシズムになる結果だと、今までは思つてゐた。フランスで闘いつゞけてゐる同胞が口に出來ぬものは自分もまた口にせず、と思ひ定め、一勞働者として亡命先で死んでいつたヴェイユ。これがロマンティシズムでなくて何であらう、と思つてゐた。
しかし、先月生れ故觶が震災に遭つた小生は、ヴェイユの行爲の意味を今までとは違つた形で受け止め始めてゐる。すなわち、彼女が同胞が口に出來ぬものは吾もまた口にせずとした決意、行爲は、ロマンティシズムの發露ではなくリアリズムの發露だつたのではないか、と。
ナチの支配下から逃れ、(祖國よりは)安全な國へ逃れた者が、危險な祖國にとゞまり續ける同胞の顔を思ひ出さぬ日は、一日としてなかつたであらう。しかもなほ、同胞は祖國にあり、占領者のテロルに仆れてゆく。
彼女は、一身の苟安のみは図られてゐるといつた耐へ難い状況の中で、自分自身に何事かを課さなければ、自分自身を保つことは出來ず、平衡感覺が破綻を來してしまふ、さう考へたのではなかつたゞらうか。そして彼女は、同胞が口に出來ぬものは吾も口にせず、と考へ、考へたことを實際に行ひ、その結果として、死んだのではなかつたか。
こゝで、ヴェイユの行爲に對しては少なくとも二つの批判が考へられる。
一つ目は「生きてこそ闘へるのだから、死んでしまつては元も子もない。ヴェイユは生きるために食べるべきだつた」といふもの。
二つ目は「ヴェイユが食べなかつたからといつて、同胞の腹がふくれる訳ではない。ヴェイユは食べるべきだつた」といふもの。
いづれも、合理的に考へればまつたく「正しい」批判のやうに思へる。だが、これらの批判の「正しさ」は、人間は常に合理的な判断を下す(べきである)といふ思ひ込みと、人間の行爲を損か得かといふ算盤勘定で判断してゐる、といふ二つの過ちを犯してゐることによつて、無効である。
リクツで無しに自分はかうせざるを得ないのだ、といふ地點が人生にはおそらくある、やつてくる。「何故だ?」と問はれゝば、「ともに生きるために」としか答えやうがないやうな感情の迸り、行爲への衝動。
さうした状況に際會してゐる者に向かつて、批判などが出來るはずがない。それらの批判は、批判した者へ直接跳ね返つてくる性質の言葉であらう。すなわち、お前こそゝんなこと云つてる場合なのか?と。
一昨日の午後、JR仙臺駅から白石行きの電車に乗つた。電車が走り始めると、車内は照明が消され、空調も消された。薄暗い電車の中から外を眺めてゐると、春の陽射しを受けた名取側の河川敷が車窓の面を過ぎていつた。人間を否応無く真面目にさせるものが、そこにはあつた。
同胞の困難をともに生きるためヴェイユが自らに課したやうに、小生も自らに何事かを課さねばならない。小生もまた、同胞の困難をともに生きたいと願ふのだから。

平成辛卯 卯月十九日                      
らがあ