つぎは、中野重治を

次囘の勉強會は23日(水)を予定してゐる。小生は「中野重治といふ人」と題して話をしたいと思ふ。
中野重治を特に意識し始めたのは小生の學生時代だつた。
それは文學部・坪内祐三先生の授業の時。ある日「中野重治といふのは複雑な人で…」といふ言葉が先生の口から漏れ、「複雑」という言葉に磁力を感じ、授業が終つた後の居酒屋にて「先生、先ほど”複雑”と言つたあの言葉、だういう意味ですか?」と伺つたところ、先生は「江藤淳の『昭和の文人』を讀むといいよ」と一言仰つた。
『昭和の文人』(新潮社)はとても面白く、中野重治だけでなく江藤淳といふ人の論述の仕方も併せて學ぶことが出來たやうに思ふ。さておき、それ以來中野重治の「複雑な」道行き、文體、感情の動きは讀むほどに引き込まれ、癖になつた。独特の匂ひがあつた。好きな人はとことん好きになり、嫌ひな人はとことん嫌ひになりさうな、さういふ匂ひだと思ふ。
小説では『春さきの風』、『村の家』、『五勺の酒』が、詩では「その人たち」、「歌」などが小生は好きだ。水曜日にはそれらの作品につき考へるところを語り合へたらと思ふ。

                                                如月二十日 らがあ