顧みて他をいふなかれ

昨冬以來、久しぶりの覺書を書く。
 12月21日(水)、飯田橋にてS、T、D、K、小生と5人で三度目の勉強會をした。
 テエマはKより「社会貢献でメシを食ふ」を讀んでの感想を。Sより「神の愛について」を。小生より「狂、或いはそれでは包めぬもの、駆け出させるもの」と題して、「狂」のいづるところをそれぞれ話し、語り合つた。 
 先月は1月26日(水)、同じくいつもの飯田橋にてS、D、R、O、小生とこれまた5人で4度目の勉強會となった。
 テエマはSより「神の愛について(Part2)」。Oより「世界一周ピイスボオトの旅で學んだことについて」。Rより「カンクンで起きてゐたことについての報告」と「尖閣問題について」。小生より、「誰でもないものとして、何も生み出さぬものとして」と題した問題提起を行ひ、いつものやうに遅くまで語り合つてゐた(と言つても集まる時間が遅いから、うだらうだらと話してゐることもできないのだが)。
 それぞれの日に各々方がどんなことを感じ、話したか、といふことについて書くつもりは無く、また書く必要も感じてゐない。あの時あの場所で生まれてゐる言葉が、それぞれに身體化されるなり、通り過ぎてゆくなり如何やうにでもなればいいのだから。
 ただ、前囘の話の終りにRから、「ここでこのやうにして何かを生み出す目的など無く、テエマもそれぞれ持ち寄りで話しあふやうなことは普段あまり無く、貴重な場所であることは重々承知だが、たゞ敢えてそれを承知で思ふのだ。”こゝから何か生まれてこないものだろうか”、といふことを」といふ問題提起があつたことは明記しておきたい。       
 小生の理解では、Rが云ふところの「何か生まれてこないか」、といふ言葉の内容に功利的な意味はさらさらなく、もつと違った意味が込められていたやうに思つてゐる。より根源的な、腹の底でさゞなみ打つてゐる轟のやうなものゝことを彼は云つてゐた。
 小生の好きな文士に、村上一郎といふ人がゐる。 「あげよ、瞳を」といふ当ブログのタイトルも彼の著作からもらつてゐる。その彼の『志気と感傷』という著作の中に次のやうな言葉があつた。

  「顧みて他をいう習性を身につけたらもう『体制』側も『反体制』側も、
  みにくく太るばかりかもしれない。後ろ姿はなお悪くなろう。」
                         (「或るひきうた」)
 Rの云ひたいことは突き詰めればかういふうことになるかもしれない。
 言葉といふものは、ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をもあはれとおもはせるものではあるが、しかし、わづかに己に慢心、怠惰の風が生じたとき、瞬く間に言葉はその本來の力を失ふだらう。勉強會という場所で交はされた言葉が、日常の一慰めでしかなくなつったり、自分自身を脇においての好い気な言葉遊びや月旦評に堕してしまふならば、やらないよりも悪い結果が生まれるだらう。 
 だからこそこの勉強會という場が、Rの云ふやうに「何か生まれてこないだらうか」といふ期待が生じる場になる必要を感じるし、またさうでなければならないとも思ふのだ。
 今月の勉強會は2月23日(水)を予定してゐる。何かが生まれてくるにせよ生まれてこないにせよ、顧みて他をいふ場にならないことだけは確かである。