まこととは何か

先月半ば、二囘目の勉強會を開いた。
前囘につゞき、三人での集ひだ。
テエマはK君から「スモオル・イズ・ビュウティフル」について、僕から「まこととは何か」について。

今囘の集ひでは、二つのテエマのそれぞれにつながりあふ場面がうまれたことがとても愉快だつた。前者についてはK君にいづれ語つてもらふことにして、ここでは僕がテエマとして挙げた「まこととは何か」について触れたい。

以下に一枚のレポオトに書いたことを載せておく。

【まこととは何か?】

問題意識 「前囘の勉強会で出た、巧みさよりも誠實を以て世界を革める、とのひとつの共通了解から、では誠實とは何か、といふ疑問が生れ考へた。」

【まこと】(誠・眞・實)−広辞苑

ま・こと(眞事)の意 
①事實のとほりであること、うそ偽りのないこと、眞實、ほんたう。
②偽りかざらぬ情、誠意。

1.「誠」− 『中庸』、『孟子』では重要単語。

 いつわりのないまこと、まごゝろ、眞實無妄の徳。”成”は「完成して安定してゐる」の意。

 例)
 ・「格物致知誠意正心修身斉家治國平天下」(中庸)
 ・「身を誠にするに道有り。善に明らかならざれば、その身を誠にせず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思ふは、人の道なり。至誠にして動かさゞる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者は有らざるなり、と。」(孟子−離婁章句上)

2.『論語』では−「忠」・「信」を以て表されるもの

 ・「子四を以て教ふ。文・行・忠・信。」(述而第七)
  →孔子は4つの教授要目を以て門人を繁育した。古典講義と徳の實踐。心の持ちかたは忠(=自分の心の誠を尽くす誠實)と、信(=人を欺かない信義のまこと)である。
  「忠」−自分自身のまことを尽くすこと、心を尽くすこと。「中にあつて偏らない=ま・ごゝろ」の意。
  「信」−他者との関係においてのまこと。「言葉に嘘あれば受刑を誓ふ様」をあらはす。

【結】まことゝは、己が天地神明に恥じなければよい、といふものでは足りず、他者との関係においても輝くまことであることが大切。

3. まことの現れかた−とくに「信」において(”関係”は固執を生みやすい)

例)
 ・「言へば必ず信に、行へば必ず果。硜硜然として小人なるかな。」(子路第十三)
 ・「大人は言必ずしも信ならず、行必ずしも果ならず。ただ義の在る所のみ」(孟・離婁章句下)
 ・「子曰く、君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。義と與に比す。」(里仁第四)
  →孔子言ふ、君子が天下の物事に處するに当つては、必ずかうしやうと固執するところも無く、また断じてかうしないと頑張ることも無い。たゞ正しい道筋に従つて宜しきにかなふのみだ。
 ・「微子は之を去り、箕子は之が奴と為り、比干は諌めて死す。孔子曰く、殷に三仁有りと。」(微子第十八)

【結】まことの道、或いは君子の道とは頑なゝものではないといふこと。その時々の現れ方は違つてゐても、また一見好い加減に見へたとしても、その心のありどを深く見定める必要がある。竜馬の変遷、真木和泉の言葉(「その跡は足利となるも心は楠木」)など。

以上

上記にあるやうに、まことゝは自己のみならず他者との関係においても輝くものでなければならず、また、まことゝは頑迷固陋な態度ではなく、おゝらかで伸びやかな道である。

人がまことを推していく時大切な心がまえとして、忘れずにおきたいと思ふものである。